火焔土器づくり経過報告~その1~

2019年2月25日の旧ブログ記事です。
こちらにお引越しかねてリライトして転載いたします。

土器造り同好会

昨年秋に入会した 『土器づくり同好会』で
あこがれの火焔土器をつくり始めてはや数か月。。。

諸先輩方の指導の下、着々と製作を進めております。 

「火焔土器」はニックネーム


ちなみにこの「火焔土器」とは
昭和11年(1936年)12月31日 新潟県岡市の馬高遺跡で出土した
一つの土器につけられた名前(愛称)です。

JR長岡駅新幹線ホームコンコース 待合室横にある火焔土器モニュメント。
市内にはあちこちに火焔土器があるのです。


この後出土した、火焔土器と同じ「鶏頭冠」という上部の突起を持つ土器を
「火焔土器」といいます。
したがって十日町の笹山遺跡で出土した国宝
「火焔土器」ではなく「火焔型土器」

旧十日町博物館ホームページより

新装十日町博物館ホームページ


わたくしの地元長岡市のあちこちでよくみられるのは「火焔土器」。
そしてわたしがつくりはじめたのも、この馬高の火焔土器ということです。

県立歴史博物館の展示 ワープして来たっぽい


歴博の常設展示。
壮観な眺め…火焔型土器、一つとして同じものはないわけで、
大きさはもちろん、模様やギザギザの数、みんな違う。

縄文時代の人達の手作り品なわけですから、当然といえば当然ですが~♪

着々と制作


さて、着々と製作を進め

最大の特徴「鶏頭冠」の作り方も教わり

同好会の活動以外に自宅で粘土を広げ
黙々と作業して

見守るゴエモン

全体像が見えてきました!

と思ったのは甘かった…

同好会の定例会前日、保管の箱を開けてみたら…
なんだか形が違うではないですか!?

おそるおそる取り出してみると……
ひえええええええええ
にゃんということでしょう!!!

………2分ほど茫然。

しかしここは原因も知りたいし、
なんだか見事な崩壊っぷりを誰かに見てもらいたいと思い、
保管の箱にもう一と戻し、ふたをそっ閉じ………(笑)

次の日、会の皆さんに見せると

「おおおお、これはまた……どうしたどうした」

「あんまり見ない壊れ方だわねえ」

「とはいってもみんな通る道よ、うん」


は…はあ、、、、

そしていろいろなアドバイスをいただき

壊れた原因は 「水分量」(多すぎ) 特に保管の際……とほぼ特定

「乾燥加減が難しい」「水の量に気を付けて」と
さんざん教わっているものの、
その水分量がどの程度かは、やっぱり経験しないとわからないわけですね。

言葉でも映像でも伝えるのは難しい。

手と感覚で覚えるのが大事ということです。

リカバリー方法


さて、この状態からのリカバリー方法。。。。

鶏頭冠だけ外して再利用するとか、
胴部から切って再度上部に積んでいくとか
いろいろアドバイスもいただきましたが

わたしの選択は
「もう一度、一から作る」でした!

せっかくここまで作ったのに。。。ともいわれましたが

えいやっと形を崩して粘土をこねなおす時…

実はちょっと気持ちよかった。。。(笑)

もちろん「ここまで壊れたら、一からのほうが早いよ」というアドバイスもあり、
自分としては、教わったことをもう一度早いうちに確認しながら作りたいという思いもあり。
ということでの選択です。

まあ、潔く!!ということで♪

てなわけで、その日の午後には 火焔土器、再び!!!の旅が始まりましたよー♪

二度目ですから結構サクサクです。

しかし、粘土が重みでキュッとしまって一晩で数センチ小さくなったりして
「もっとゆっくり作ったほうがいいわよ」とのお言葉もいただきました。

うむ。
急がず焦らず、慌てずに~楽しんで進めることにします―――。

火焔土器本体部分、70パーセントの型紙にゃ!
何事も基礎の基本が大切にゃ!この角度にぴったり合うように作るにゃよ!

お、おう!引き続き頑張ります~

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